修行シリーズ①理容師編
プライベート
京都整体げん 谷野です。
お客様から、整体の仕事を選んだ理由を聞かれる事があるのですが、自己紹介も兼ねて数回の「修行シリーズ」に分けてお伝えしていこうと思います。
第1回は理容師修行編です。
私の実家は伏見で両親2人で自宅兼店舗で椅子3台の理容院をしていました。
私は3人兄弟の長男でしたから、後継ぎとして理容学校に行くことになりました。
理容師職人の親の影響を受けていたので、「大学に入って大企業に就職する」という目標も元々ありませんでした。
かといって将来理容師になる意欲もなかったのですが、なんとなく言われるがままに二条円町にある理容学校に入りました。
理容学校自体は楽しかったです。
現在は2年制で高卒が入学条件ですが、当時は1年制で中卒でも入学できたので、18歳と15歳前後の生徒が一緒の教室で授業を行う風景はワイワイ、キャーキャー騒がしく、楽しかった思い出です。
実家で暮らしていても親からのプレッシャーも重く感じていたので、在学中に、厳しい修行で有名だった嵯峨嵐山の理容サロンに住み込み修行に行くことにしました。
住み込み行ったお店では、学校と掛け持ちしながらアシスタント・シャンプーなどの補助仕事、夜は毎晩仕事が終わってからパーマ・カットの練習会。
休日はセミナーやカットの大会イベントの参加などの多忙な日々でヘトヘト。
多忙な毎日から疲労が溜まりサロン営業中も立ったまま眠ってしまう事もあって「寝るな!」と先輩の手が飛んでくる事もありました。
肉体疲労・睡眠不足・なれない人間関係・仕事の不満。
そんな毎日の疲労とストレスから、仕事場の飲み会の席で酔っ払って周囲に迷惑をかけてしまいました。(記憶はありません)
「気に入らんのじゃー」と言ったそうですが覚えていません。
結局、4か月くらいでお店をクビ(自主退職)となってしまいました。
その後は実家の散髪屋に戻ってお店を手伝うのですが、自分の性格からハサミやカミソリといった鋭利な刃物を扱うのが怖くて馴れず、やっぱり理容師はむいていないと実感して、「理容師免許取得」と同時に引退しました。
実家に戻った後に入会した理容青年部の練習会は、同年代の理容師の練習会で親切に迎えてくれて和やかで楽しかったのですが、引退と同時に青年部も辞める事になり、今でも少し寂しい(申し訳ない)気持ちになります。
結局、理容師は辞めてしまいましたが、家業の影響もありネクタイをしめる職業には興味がわかず職人仕事に興味がありました。
これから仕事をしていくポイントとしてこんな事を考えていました。
①技術の向上ができる仕事
②人に喜んでもらえる仕事
③人間関係で悩まない仕事
④一人で独立開業できる仕事
そして整体という仕事がある事を知り、整体の世界に入る事となりました。