修行シリーズ②整骨院修行編
プライベート
「京都の整体げん」谷野です。
第2回目は整骨院修行編です。
あまり知られていませんが整体にはいろんな流派があり、整体学校もたくさんあり3か月短期コースから2年コースまで色んな選択肢があります。
授業の内容もリフレクソロジーやマッサージなどの癒し系整体のスクールもあれば、本格的な骨格矯正を教えているスクールもあります。
ですから自分と相性の良い流派や先生、学習期間など良く考えて選択しなければいけないのです。
当時は、そんな事も知らず「3か月で卒業、1人前の整体師デビュー」という謳い文句にひかれて整体師短期スクールに貯金を下ろして入学しました。
結局3か月で一人前になるはずもなく、3か月後には素人同然のまま技術も身につかず卒業となってしまい後悔した時には手遅れでした。
ですが、そこのスクールにはいくつかの求人募集が張り出されていて、京都亀岡の整骨院に勤務する事が決まりました。
亀岡の整骨院に初勤務
そこの整骨院は院長先生と男女の先輩スタッフ2名と私の計4名の職場でした。
理容師修行も大変でしたが整骨院での勤務も大変な毎日でした。
院長先生は、体育会系のタイプで気性が激しく気分屋さんで、穏やかな性格の時と朝から怒り狂っている時の2面性があり、毎朝先輩スタッフ2人と「先生は今日はどっちかな??」とビクビク顔色をうかがって出勤していました。
突然怒り出すし「また血圧が上がったわ!!血圧が下がらんわ」と言って院長先生は整骨院をいつも早退or欠勤していたから、気の弱い私は精神的にヘトヘトになっていました。
そんな職場でしたから「いつ辞めようか?」と毎日考えていましたが、良かった点はとても勉強になる職場でしたから、なんとかしがみつき先輩と2人で毎晩マッサージの練習をしたものです。
その先輩の整体の練習モデルになって頚椎の矯正を受けた所、右顔半分の麻痺になり感覚が無くなった経験があります。
ですが院長先生には怖くて「私の首を見て下さい」とは言い出せず、結局、他院の整体矯正で顔面麻痺は回復しましたが、この頚椎矯正の経験により危険を伴う頚椎のボキボキ矯正は行わないと決めているのです。
私の失敗談の思い出が1つあります。
いつも来院される50代の女性を座った状態で肩をマッサージしていた時の事です。
突然、その女性が無言で泣き出したのです。
私には、なぜ泣いているのか理解できませんでしたが後で聞いてもらうと私のマッサージがあまりにも下手だった為に情けなくて泣いてしまったそうです。
とても落ち込みましたが、技術が下手な事では院長先生は怒る事はありませんでした。
院長先生の私への思いは、自己表現の苦手な私をなんとか変えたい一心で厳しく指導されていた様ですが、当時の私は院長先生の情熱についていけず、「他でも色々勉強してきた方が良い」と勧められ、1年で亀岡の整骨院は終了となりました。
京都七条の整骨院でカルチャーショックを受ける
次に勉強に行ったのは京都七条にある整骨院です。
こちらの整骨院も院長先生と見習いの先輩スタッフ2名と私の計4名の職場です。
先生は、オステオパシーをベースに施術をされていましたが、エネルギー療法を使う不思議な施術内容に、初めて見た時は戸惑った記憶があります。
両手を背中の上でグルグル回したり、背中を空手チョップの様なしぐさでトントン軽くたたいたり、摩訶不思議な施術でした。
施術を受ける方も黙っておとなしく受けている状態なので私は「院長、その施術方法は何ですか?」「何しているのですか?」とは聞けませんでした。
なにも説明している所を見た事が無かったので、「変な施術で気持ち悪い」と言って敬遠する方もおられました。
その後、私も気功整体の勉強会に行ったりしましたから、エネルギー施術にそれほど抵抗はありませんが、当時はカルチャーショックで「私が長くいる職場ではない」と感じながらも1年ほどいたころ、知人から仕事の相談がありました。
「三条商店街で整体サロンを一人で営業しているが辞めたいから店長を交替してほしい」という相談内容でした。
私は、自分の整体経験を積むためと、一人店長という好奇心から「わかりました、行きます」とすぐに返事をして、この摩訶不思議な整骨院を辞めて三条商店街に行く事にしたのでした。